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私taipaが趣味の世界からお送りします

67歳まで生き残れた2つの幸運 ~せいうち日記187

昨日21日の朝は少々寝過ごした。起きて10分で着替えて仕度して家を出ると、小雨が降っていてすでに水たまりができている。夜のうちにかなり降ったらしい。

新着のMagic Speedで靴擦れを起こしてしまったので、JOLT3を履いて公園遊歩道へ。タータンが濡れているので慎重に走り始める。この間濡れた路面で滑って、2、3日ヒザが痛かったのだ。

途中で計測したら、km30秒くらい遅い。Magic Speedと比べると40~50秒違う。でもこういう日はとにかく完走。10周4km走って引き上げる。これで7月の走行距離は90kmを超えて、ノルマの100km達成に目途がついた。

 

「せいうち日記」をはてなの記事に上げるのは初めてである。まず、この連載について説明したい。

「せいうち日記」は2005年6月、当時のNIFTYココログで連載を始めた。以来約20年、ほぼ月一ペースで記事を載せて今日に至っている。せいうちというのは当時の体形から名付けたもので、名前のとおり減量日記が初期の主なトピックであった。

今回で187回目になる。100回前後がリタイアの時期で、以降年金生活に入り今月末で8年経つ。バックナンバーを見ると、たびたびカシノに行っていた時代、それどころでなく仕事が忙しくなった時代、リタイアが現実味を帯びてきた時代、リタイア後の平穏な時代など、それぞれ振り返ることができる。

2020年秋から糖質制限を始めて(139回)、劇的に減量することができた。ようやく走れるような体になって、2022年からランニングを再開した。いまではピーク時より30kg近く減量して、ユニクロのLサイズでも着られるくらいである。かつては入るサイズがなかったのに。

今月は健康診断について書く予定だったので、前置きついでに自分自身の健康について少し。

 

リタイアしてもうすぐ満8年。サラリーマン現役時は苦労ばかりで報われることの少ない職場だったが、幸運に恵まれてどうにか今日まで生きてこられた。その幸運の中でも2つ、サイコロの転がり具合でかなりの確率生きていられなかったかもしれないと思うことがある。

一つは1985年のJAL123便事故である。当時は銀行に勤めていて、大阪勤務だった。JAL123は夕方に羽田から伊丹に飛ぶ便で、東京に家があって大阪で働いていたり、逆に大阪に家があって東京勤務の人達がよく使う飛行機であった。実際、この事故で第一勧銀勤務の何人かが亡くなっている。

私もよくJAL123は使っていて、便名が分かりやすいのでよく覚えている。別に打ち合わせた訳でもないのに、同じ支店の何人かと乗り合わせたこともある。そして、この事故の日、たまたま私は大阪から戻ってきていた。ということは、数日違いで、帰りの便がJAL123であったかもしれないのである。

ちなみに、当時まだ関空はなく、LCCもないので成田発近畿圏行の便もなく、大阪に帰るには羽田・伊丹便のJALANAかで選ぶしかなかった(東亜国内航空は基本的に地方路線だけ)。

つまり、確率的には何分の1まで行かないにしても、十数分の1くらいの確率ではあった。お盆の時期で満席に近かったし、取ろうとして取れたとは限らないけれど、いずれにしても無視できない確率で事故に遭ったかもしれない。

もちろん、車を運転していてもホテルに泊まっていても事故に遭う可能性がないとはいえないが、それほど高い確率ではない。宝くじとか交通事故は何千何万分の1だから運不運で片づけられるけれど、十数分の1ではなぜそんな危ないことをするという世界であろう。

当時は忙しく東京と大阪を行ったり来たりしていて、新幹線ではまどろっこしいので飛行機とみんなが思っていた。東京に家のある奴を大阪に配置したり、金曜夜まで仕事があって月曜朝には働かせるような職場が問題だといまなら思うのだが、当時はそれが当り前だと思っていた。

 

もう一つは、糖尿病が悪化したりアルコール依存症にならなかったことである。

就職した頃からやたらと酒を呑んだ。当時の職場は非常にストレスが大きく、午後9時10時までサービス残業してそれから呑みに行き、真夜中過ぎてタクシーで帰るなんていう生活をしていた。

幸か不幸か酒に強かったので、二日酔いでも翌日会社に行くことはできた。そんな人は結構たくさんいて、仕事中に酒を覚まして夜になったらまた呑みに行くのが当り前と思われていた。よくアルコール依存症にならなかったものである。

そんな生活を続けてきたので、40代で糖尿病になった。痛風、高血圧、高脂血症など生活習慣病もセットでやってきて、体重も110kgを超えるまでに増加した。当時はスーツがきつくなって大変だとしか思っていなかったが、いま思うと地獄との境い目のヤセ尾根を歩いていたようなものであった。

 

若い頃から酒浸りの生活で、40代に糖尿病になった。合併症になったりアルコール依存症にならなかったのは、ひとえに幸運だったからである。

 

あのままの生活を続けていたら、糖尿病が悪化して眼底出血とか人工透析に進んでいた可能性は高い。それ以前に、アルコール依存症で震えが止まらなかったり幻視・幻聴が出ていたかもしれない。そうならなかったのは幸運に恵まれたからだし、おそらくJAL123に近い確率の危機にあっただろう。

 

事故に遭っていればその後の人生はなかったし、糖尿病が悪化したりアル中になったとしてもいまのように平穏な日々を送ることはできなかった。

そうならなかったのは、努力したとか意志が強かったからではなく、運がよかったからというのが最も大きいように思う。それもあって、幸運を期待するよりうまくいかなかったケースを想定するし、手持ちの運があるとすれば無駄遣いすべきでないと考える。

 

p.s.これまでFC2で連載してきましたが、運用が不安定などいろいろ問題がありますので、はてなブログに移行します。お手数ですが、ブックマークの変更をお願いします。

p.s.その2 「せいうち日記」、バックナンバーはこちら

p.s.その3 これまで連載していた中高年の山歩き、糖質制限関連の記事は、Bloggerに掲載するようにしました。こちら。

 

 

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