昨日25日の朝、公園に行くと折れた木の枝、飛んできた葉っぱで遊歩道が走りにくかった。24日に秩父多摩から埼玉県を横断した積乱雲で、千葉ニューも短時間にせよ強風が吹いたためである。
これまでは熱帯夜とはいえ25℃を若干上回る程度だったが、室内の気温がすでに30℃を超えている。外に出てもまったく涼しくならない。走り出すとすぐに大汗。
5km12.5周の予定だったので、息がはずまないペースを心がけるけれども、暑いのはスローペースでも暑い。ラスト2周半はたいへんしんどく、走り終わるとハンドタオルの濡れ方がこの夏一番だった。
先日東京都知事選があり、先週はわが印西市長選があった。結果は別ブログに書いたけれど、気づいたことがあったので忘れないうちに書いておく。
若い時は、なぜ年寄りばかり選挙に出るんだろう。もっと若い人が政治を動かさないといけないと思ったものだが、いつのまにか選挙に出るのは自分より若い人ばかりになってしまった。
それはいいのだけれど、都知事選のポスタージャックにしても、市長選に出た一部の候補にしても、よりよい社会を作ろうという意志がまったくなく、自分のキャリアアップのため、知名度を上げるため、YouTubeの再生数を増やすために立候補したように見えた。
もしかすると、若い世代の人達にとって選挙はイベントであり、供託金を出せば楽しんで何が悪いという考えなのだろうが、私の若い頃はそうではなかった。政治絡みの主義主張のわずかな違い、まじめに行動しないことが命にかかわるような事例が多くあったのである。
大学受験の少し前に安田講堂事件があり、その年東大の入試は行われなかった。銀行に入った時先輩の人から、「俺の年には東大は受けられなかったんだよ」という話を聞いた。
当時の大学にはまだ不穏な空気が残っていて、大きなベニヤ板にペンキで「粉砕」と書かれた立て看板があったし、授業中にヘルメットをかぶった人達が入ってきて「授業を中止してくれ。俺達が話をするから」なんてことも何度かあった。
もしそんな時に「興味ないですから」と教室から出ようものなら、周りを囲まれてアジトに連れていかれ、鉄パイプや釘付きの角材で殴られるような危険があった。実際、当時内ゲバで何人も死んでいる。連合赤軍リンチ殺人事件も、あさま山荘事件も、毛沢東の文化大革命もその時代である。
だから、政治絡み、選挙絡みで軽はずみな行動をしたり、悪ふざけしたら命にかかわると思っていた。そうでなくても、赤尾敏総裁のポスターと並んであのNHK党ポスターが貼られたとしたら、愛国党が黙っていなかっただろう。
赤尾敏総裁のポスターの周りにこれが貼られたら、愛国党はどうしただろう。当時からドクター中松は立候補してたけど。
しかしそれから半世紀。学生運動も、共産革命も、ブルジョワジー粉砕も、現実味のあるものではなくなった。いまの人達にとって現実なのは、オリンピックであり大谷である。
だから、選挙は税金で広告費を出してもらえるから、自分の宣伝のために使わないのはバカだし、政治信条も言論も自由だから誰にも何も言われないのが当然ということになった。かつて、真剣に運動に取り組まないことでリンチされたり殺されたりした時代があったにもかかわらず。
印西市長選で、自分は市長になって何を実現するのかではなく、「印西初の女性市長」「史上最年少市長」という候補がいた。彼らにとって選挙とは、ギネス世界記録への挑戦みたいに、記録を作るためのものだった訳である。
もちろん、主義主張で殺される社会よりかなりましであることは確かだけれど、この風潮が行き着く先はどこなのか心配である。歴史の示すところ、ポピュリズムの次に来るのは軍隊の専制でほぼ間違いないのだけれど。
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