Go Down Gamblin' ver.6

私taipaが趣味の世界からお送りします

40年前を思い出すと、あの頃よりいい

昔のことを思い出す話は昨日で終わりにする予定だったが、ふと40年前のことを思い出した。あの頃はかなり悲惨だったので、忘れないうちに書いておく。

いまでも鮮明に覚えているのが、独身寮の洗濯場から目の前の新築マンションを見ながら、なぜこんな暮らしをしなきゃいけないんだろうと思ったことである。

独身寮にいたのは1983年の4月から12月だから、もう42年前になる。その寮というのが戦前に建ったという年代物で、ようやく個室にはなったものの、風呂もトイレも当然共用という建物だった。洗濯機も二漕式でもちろん早いもの順、トタン屋根の下に紐が張ってありそこに干すのだった。

当時勤めていたのは銀行なので、平日は夜遅くまでサービス残業である。洗濯できるのは休日(週休1日!)だけ、独身寮に住む男全員が使うので、洗濯機が空くのは日が暮れる頃だった。翌朝までとても乾かない洗濯物を抱え、なぜちゃんとした場所に住めないんだろうと思いながら目の前の新築マンションを見たのだった。

会社にはカネがあったはずだから、全自動洗濯機でも乾燥機でも設置できたはずだが、若い者をあまやかすなという体育会的発想だったのだろう。寮が嫌だから一人暮らしと思っても、自宅通勤できない独身社員は独身寮に入らなければならないという不文律があって、誰もそんなことはできなかったのである。

いま思えば、不文律など諸般の事情でルール化できないからそうしているので、嫌なら守らなければいいだけである。でも当時は、組織でうまくやっていくにはそうしなければならないと思いこんでいた。そうして会社ファーストでやっていても合併とか合理化とか平気でやるから、個人はストレスがたまるだけで報われない。

日の高い間は会社にいて、日が暮れると休日含めて寮だから、24時間組織に束縛されているようなものだった。今なら同じ独身寮でもプライバシーは尊重され、コインランドリーくらい整備されていて(2~3年後にはそうなった)、休日はその頃の趣味だったお寺回りや古墳巡りができたはずだ(関西なので本場である)。

話を戻すと、そんなふうに自由になる時間がほとんどなく、わずかな時間で身の回りのことをしなければならない生活をなぜしなければならないのだろうと強烈に思った。振り返っても、いままでの人生でもっとも悲惨だった。多少の給料では追いつかない。

自由に時間を使えないこと、誰が決めたか分からない不文律があること、工夫すれば便利にも快適にもなるのにそうしないことが苦痛だった。加えて、大嫌いな共同生活である。ああいう生活を続けていたら、体より前にメンタルをやられたのは間違いない。(間もなく結婚したので助かった)

42年前のその頃を考えると、幸運にも恵まれてそれほど悲惨なことにはなっていないと思う。独身寮があれだけ嫌だったので、どんな形態であっても老人ホームは悲惨だろう。少なくとも自分にとっては、二度と繰り返したくない時代である。

昨日は天気がよかったので、早朝車を走らせて筑波連山に山歩きに行った。軽自動車を走らせて山を歩き、日帰り温泉で汗を流す。サイフから出て行ったおカネは温泉の620円と、お昼のパン・おやつで400円くらい。独身寮ではこんな自由もなかった。その頃を思うと、40年前そんな生活だったのは夢みたいだけど、決して夢ではなくそれが現実だったのだ。

 

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