この前、暑い最中にガソリンを補充しに行った。もっとも近いガソリンスタンドは2つとも態度が悪いので、いつも少し離れたところに行く。でもこの日はあまりにも暑かったので、仕方なく近場で済ますことにしたのである。
案の定セールスがやってきて「ウォッシャー液サービス中です。エンジンルーム見ましょうか」と言ってきた。セルフの機械を操作中に話しかけるので気を取られるし(一度、お釣りを取るのを忘れたことがある)、給油を客にやらせるのにセールスだけしようというのは横着である。
セールスはいらないと言ったのだがまだ話そうとするので、「エンジンルームを見たら見たで、汚れてるだの何だの言うんだろう。わずらわしいから要らない」と断った。そう言うと「怒らなくたっていいじゃないですか」と逆ギレする奴もいるのだが、この日はおとなしく引き下がった。
給油するだけで店にいくらかの利益は行くはずなのに、さらに儲けようというのだから欲深である。だから働く場所は選ばなければならないのだ。結局のところ他人の金儲けの手伝いをするのに、少々の時給ではやっていられない。
先日YouTubeを見ていたら、飲み会の最後に「今度また行きましょうね」というのは社交辞令なのだから、いつなら暇とか言わなくたっていい。「今度ね」と返せないのは発達(障害)だというのである。それを聞いて、言霊というのは死語になってしまったんだなーと思った。
言葉にすればそれは実現する方向に働く。だから余計なことは言うべきではないし、心にもないことを言葉にすべきではない。社交辞令なのだから意味なんて考えるのは一種の障害だというのは、日本人の伝統からは外れている。柿本人麻呂も「言霊の助くる国ぞま幸くありこそ」と謳っている。(わが国は言霊の国だから、「どうぞご無事で」と申し上げますという和歌)
半世紀前には、男は余計な事を口にしないというマナーがまだ残っていた。だから「男は黙ってサッポロビール」だったのである。サッポロビールの凋落とともに、そのマナーもなくなってしまった。

内閣総理大臣が「自公で過半数が絶対目標」と言ったのも、言えば実現すると思ったからで、言霊を当てにしたのである。しかし実現しなかったのはそれも神意で、自分はトップの資格はないと思わなければならない。
あるいは、社交辞令なのに本気にして辞任しろとか発達(障害)じゃねーのとか思っているのだろうか。それにしても、辞任要求がいつの間にか沈静化の気配である。石破は嫌だが高市になるともっと困るということだろうか。
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