まずお断りしておくと、私は創価学会が嫌いである。会社勤めの頃、学会員に何度もたいへん不愉快な思いをさせられた。マルチ商法みたいなことをやってるのも嫌だし、池田先生を絶対的に崇拝するのも朝鮮半島の北の国みたいである。
とはいえ、日蓮上人に特に恨みはない。千葉県の生んだ偉人である。法華経を重視するのは、比叡山だって同じである。そもそも日蓮宗というのは比叡山が「うちと紛らわしい」と言うからそう呼ばれている(比叡山は正式には天台法華宗)ので、中世まで法華宗の呼び方が一般的だった。
今回、自民党との連立解消にあたり、党内では国政から撤退して地方選挙だけにしたらどうかという構想も出ているらしい。悪い意味ではなく、創価学会が政治から遠ざかるとすれば、学会自身にとっても大変いいことと考えている。
もともと、私の若い頃公明党は野党だった。自民党と連立を組んだのは、社会党の方が先である。なぜ自民党と連立したかというと、政策の違いがほとんどなかったこともあるが(社会党など全然違う)、何かというと「池田大作証人喚問」を持ち出す自民党への口止めという意味だったと考えている。
創価学会はもともと統一教会とよく似た体質である(よく知られるようにカルトとみなす国もある)。いろいろな問題があったし、今もある。被害者救済の建前もあり、自民党には池田大作名誉会長を国会に喚問して真相を究明しようという動きがあった。
とはいえ、創価学会員にとって池田名誉会長は某国の金一族と同じで、絶対不可侵である。国会で訳の分からない質問を受けさせる訳にはいかない。だから、自民党もいざという時に証人喚問カードを切ることにより、公明党の譲歩を勝ち取ってきた。
しかし、そんなことをいつまでも続けるのは公明党としても厄介である。それより自民党と連立して、内側から証人喚問を阻止する方が話が簡単になる。結果、嘘のように池田喚問という話は出なくなった。池田名誉会長が亡くなったのはつい最近である。
だから現在では、公明党が自民党と連立する理由のひとつがなくなってしまったのである。もちろん、長年政権側でいい目をみているし、大臣ポストは有形無形のメリットがある(国交省を握れば、全国の建設会社が勢力下)。公明党の中には、次は自分が大臣だ、副大臣だと期待していた議員が少なくないはずである。
一方で創価学会はどうなのか。池田先生の盾とならなくてはならないから選挙協力もし、噂されるように他人の投票券で何回も選挙に行ってきた(かもしれない)けれども、そんなことは信心と関係ない。われわれが勉強すべきはもっと他のことではないのかと思う純粋な人が、創価学会にもいるかもしれない。
世界の動きをみると、統一教会は政界との癒着が原因で存亡の危機にあるし、国内の新興宗教、天理教や大本教、霊友会、立正佼成会、MOA・眞光系などいずれも信者の高齢化により教勢が衰えつつある。
公明党も、選挙のたびに議席を減らす状況である。このあたりで体制を立て直さないと、次の世代に生き残っていけないと思う信者がいない方がおかしい。個人的な好き嫌いは別にして、組織として当り前である。
創価学会は、日蓮の教えに従う宗教団体である。とはいえ、昔は上部団体であった日蓮正宗(日蓮宗の系統)と関係を絶ってしまい、現在は独立した在家信者の集まりという立場である。在家でもちろん構わないけれど、僧籍にないことから日蓮の教え、その源流である天台教学を系統的に勉強する機会や意識がなくなっているのではないか。
安土宗論の時代から、日蓮宗には基礎となる勉強を疎かにし、衆を恃んで他宗を非難する傾向があった。信長はそれを嫌った訳だが、いまの時代も創価学会員の大多数は私より法華経について勉強していないように思える。それをしないで日蓮主義を標榜すれば、大戦前の関東軍と同じである。特に、日蓮シンパには国粋主義的な傾向がある。
創価学会が政治と距離を置き、他の宗教団体並みの関わりにとどめるならば、いまよりずっと宗教らしい宗教になることが期待できる。選挙に使った労力やおカネを恵まれない人達のために生かすならば、今より少しはましな国になるかもしれない。
p.s. なんとなく思うことバックナンバーはこちら。
公明党は連立政権離脱を表明した。もともと自公体制は池田名誉会長の証人喚問阻止が目的で、池田先生なき今となっては自民党の機嫌を取る必要はない。これを機に政治と距離を置くのが、創価学会自身のためにもなると思われる。
