帰ってからガーミンを確認したところ、まともなラップは17kmまでで、18km以降は9分台である。ところが不思議なことに、15km以降の6.1kmは約55分で、初ハーフのドラムマラソンの時と変わらない。何度も歩いたのにずっと走ったのと同じタイムというのも、妙なものである(歩くような速さで走っているだけだが)。
18km付近の救護所にアクエリアスが置いてあったのでおもわず手が伸びる。スポドリにはもれなくブドウ糖果糖液糖が含まれているので飲むつもりはなかったが、背中や足が攣ってしまっては致し方ない、500ccを飲みながら走り、商店街の給水所で回収してもらうまでウェストポーチに空きペットボトルを入れていた。
大利根カントリーの前で、救急車の搬送と鉢合せとなり歩道に上がるよう指示された。Uターンして行ったので、前を走っていたランナーと思われる。足を攣ったくらいで救急車に乗れないから、もっとシリアスな容体なのだろう。マラソンはそれだけハードということである。
救急車が過ぎてすぐ、商店街のヨークベニマルが見えてきた。商店街に入れば、残り2kmである。すでに満身創痍ではあるが、関門はクリアしているので歩ける限りゴールには着くことができそうだ。給水所で屈伸運動をしようとするが、足が攣ってうまくできない。こんなことは、今シーズンはじめてである。
将門ハーフマラソンゴール地点。撮影時はまだアップしている人がいるが、レース時は芝生の方向に誘導され、ここでチップが回収となる。
歩いたり走ったりしながら、ライブ演奏中のステージを左折して競技場への道に入る。残り1km、不規則に痙攣する両足をだましだまし前に進む。タイムがどうなっているかなんて、もはや考慮の外である。ガーミンも、歩きが混じるとちゃんとタイムを表示してくれない。
競技場までもう少しというところで、「交通規制終了します。ランナーのみなさんは歩道に上がってください」のマイク音声。なるほど、2時間半の基準タイムは関門閉鎖とならないが、車道を走れなくなるのかと納得。競技場までの道も、すでに走り終わったランナーで一杯になっている。
ともあれ、なんとか競技場まで戻ることができた。あとはアンツーカーのコースを1/4周してFINISHゲートをくぐるだけ。最後の力を振り絞ってゴールまで走る。電光掲示は2時間34分台と思ったが、完走証をみると35分台になっていたようだ。あんなに歩いたのに、自己ベストを10分以上更新した。
ゴールした後はフィールドに誘導されてランナーズチップを外し、ドリンクサービスでアクエリ300ccペットボトルをいただく。すでに救護所で飲んでいるから、ブドウ糖果糖液糖を気にしても仕方がない。遠慮なくいただく。
それにしても、給水所で水、救護所で500ccアクエリ、ここで300ccアクエリを飲んだのにこの後トイレに行かなかったのは、ずいぶんと体から水分が出ていたようである。
チップ取り外しエリアから出ると、すぐ前が豚汁サービス、その隣がJA提供の参加賞レタスである。昨今は野菜が高いので、持って帰ったら奥さんがたいへん喜んでくれた。
撮影はレース前だが、左のテントが豚汁サービス、右がJA提供の参加賞レタス配付所である。
チップ取り外しや豚汁を食べている間は座り込むこともなかったのだが、車に戻って着替えていると再び足が攣って動けないほどであった。車の中で窮屈に着替えたからかもしれないが、これが人前であったら変な人だと思われてしまったかもしれない。
翌朝ネットで完走証を確認すると、グロスタイムが2時間35分23秒、ネットが2時間33分55秒であった。八街の完走証より早く手許に届くのが何とも言えないが、それはともかく、タイムそのものは目標をクリアしていて、それだけとればいい内容だったといえるかもしれない。
しかし、今回の目標であるハーフを楽に走り切ることからすれば、まったく不満であった。自分でもハイペースと分かっていながらゆるめることもせず、結局バテて散々歩いてゴールするなど、普段の練習は何のためにしているのかということである。
そして、久々に背中や足が攣る苦しみも味わうこととなった。幸い、翌朝には痛みはあらかた引いたのだが、ひどければゴールできなかったかもしれない。自己ベスト更新はうれしくないことはないが、課題が多く残った将門ハーフマラソンでありました。
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