石碑周辺はたいへん湿っぽく、碑自体も緑のコケでいっぱいだった。近くの立札に、令和に入ってからの事業で整備したと書かれているが、とてもそんな最近に手を入れたようには見えない。少なくとも遊歩道の整備は、30~40年前より新しいことはないものと思われる。
とても腰を下ろせる状況ではないので、写真を撮って先に進む。本当に15分で来れたなら戻るところだが、下りで25分かかるのでは登りに30分である。リスクはあるが先に進むしかない。
幸い、石碑までと同じように遊歩道の残骸があって、横倒しの丸太や土留めの跡を慎重に登ると、ほどなく尾根に乗った。乗ったけれども、管理道らしき道はない。境界見出票はあるのだが、その先は薮になって進めない。
「みんなの足跡」では林道終点から下る道と石碑からの道は太い線だし、ネットの登山記録をみても迷う場所に読めなかったのだけれど、実際にはよく分からない。少なくとも、国有林管理道のようにはっきりした踏み跡はない。「みんなの足跡」はあまり信用するなと書く人がいるのも分かる。
とはいえ境界見出票はあるから、少なくとも関係者は定期的に通っているはずだ。地図上では、北ないし北西に進路を取り、尾根を外さなければ三角点に至る。そう思って進むのだが、いよいよ薮は濃くなるし、倒木も続けざまに現われる。
仕方がないので、尾根を下りて境界見出票を追うことにした。見出票は沢沿いに続いている。すでに正午近い。3時間以上歩き続けているので、休憩して落ち着くことにした。
リュックを下ろしてインスタントコーヒーを淹れ、セコマの山わさびハムサンドで昼食。休んでいると、小鳥がさえずるような鳴き声。こんな沢沿いに巣でもあるのだろうかとあたりを見回すと、なんと岩陰から現れたのは小さなカエルであった。
天敵などいないと思っているのか、何の用心もせずずっと鳴き続けている。アマガエルくらいの大きさだが茶色い。それにアマガエルはこんな小鳥のようには鳴かない。カジカだろうか。わずか半日山に入るだけで、なんとも自然あふれるたたずまいであった。
その後も尾根に上がろうと試みるが通れる状態ではなく、引き続き沢を下る。進行方向にコンクリ壁のようなものが見えたので近づいてみると、それは砂防ダムの堰堤だった。ダム自体は10mほど高さがある。右岸の斜面を登り、堰堤横から下りる。尻セードを覚悟したが、何とか下りれた。
砂防ダムを造ったのだから道があるはずと思ったが、予想に反して薮である。いや、地面には真壁町の標柱と思われる杭があり(羽鳥深道と同じやつ)、かつては道だった形跡はあるが、すでに道ではなかった。そして、沢があるはずの位置に廃屋。昭和30年代より新しいことはありえない古いものである(砂防ダムの工事関係かもしれない)。
その少し下にまた廃屋。今度はそれほど古くなく、入口にロープが張ってあるから廃屋だろうが、何もなければ誰か住んでいてもおかしくない様子であった。そして、2つ目の廃屋から下は、舗装こそされていないもののちゃんとした道幅の道になり、ほどなく集落に出た。
帰ってから国有林図面で調べたところ、今回昼食休憩をとった二十五番柱付近の境界は尾根に乗っておらず、見出票を追ったところで三角点には達しない。緑化運動発祥の地とはいいながらあまり整備されているように見受けられず、管理道もはっきりしなかった。
ネットで見ると、大宮神社から三角点までの道ははっきりしているようなのだが、残念ながらその道に出ることはできなかった。「発祥之地」石碑からは行きにくい場所かもしれない。いずれにしろ、またもや宿題が残ってしまった。
この日の行程
真壁駐車場(30) 8:00
8:40 羽鳥集落(70-190) 9:30
9:50 水分神碑(260) 9:55
10:10 椎尾林道分岐(355) 10:15
10:40 緑化運動発祥之地(250) 10:45
11:30 25番柱見出票(123) 11:50(昼食)
12:20 砂防ダム(150) 12:25
12:50 東山田集落(50) 12:50
13:35 真壁駐車場(30)
[推定距離 14.2km]
p.s.中高年の山歩きシリーズ、バックナンバーはこちら。
平成になって建てられた緑化行事記念碑。ここまでは林道で、砂利道ではあるがきちんとしている。

林道から分かれると、国有林管理道としても未整備な道となる。時折り丸太階段の残骸があり、かつて遊歩道として整備されたようである。「発祥之地」碑は湿っぽく苔むしている。

「発祥の地」の先は、笹薮に阻まれ進めない。境界見出票のある沢沿いで大休止。小鳥のように鳴くカエルの声を聞きながら昼食。

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