最近になって突然増えた言い回しのひとつが「命を守る行動」である。耳障りな言葉である。おそらく「安心・安全」と同じで、官庁が始めた言い方なんだろう。
NHKは、大雨特別警報でも土砂災害特別警報でも、地震でも津波でもこの言葉を繰り返せば公共放送の役割は果たせると思っているようだが、ちょっと違う。生活基盤が失われる危機が迫っている時、自己責任で対応することは誰にも止められない。
かつての大地震・津波とか、今回の印旛沼の堤防決壊のような大規模な自然災害は個人でできる範囲は限られるにしても、もっと小規模な災害、例えば放水路が枯れ枝や枯草で一杯になるかもしれない場合、大雨が降るから、警報が出ているからといって確認しに行かないのは正しいことなのだろうか。
放っておけば、田畑が冠水してせっかく作った作物がダメになってしまうかもしれない。水路を掃除すれば、土嚢を積んでおけば、浸水被害を未然に防げるかもしれない。危険はゼロではないにしても、今なら対応が間に合うかもしれない。
本当に危険が差し迫ったら逃げるしかないとしても、それまでベストを尽くすべきではないのか。それとも「命を守る行動」で、みんな避難所でじっとしているべきなのだろうか。
1Q84で青豆さんが、隠れ家のマンションから絶対出るなと指示されたにもかかわらず、追跡者を確認して後をつける場面がある。「助けを求めたからといってすぐには来てくれない。身近に危険が迫っているのに、それをただ見ている訳にはいかない」からである。それが自然な考え方だと思う。
行政としては、みんなが自分の田畑を見に行ったり、破損した自宅を応急措置したりしないで、避難所でおとなしくしていてほしい。後から誰かに不手際を指摘されるリスクを減らしたいのである。役所の自己保身のために、住民の自由を制限するのである。別にこちらの身を心配している訳ではない。
生物である以上、人は必ず死ぬ。いつかどこかで命を守ることができなくなる。
昔、ポーカーを集中してプレイしていた時期があり、「命を守る行動」が生き残る可能性を高めるのは分かる。しかし、百人の大会なら99人が敗退する以上、ほとんどすべての場合途中で席を立つ場面がやってくる。
その時満足できるのは、やれるだけのことはやったという場合だけである。無謀な勝負に出たり、逆に下りまくってジリ貧になるのではなく、ベストではなくてもベターな条件で、できるだけのことをしたい。
台風が来ていても田畑や水路を見に行かなければならない場面があり、地崩れが起きていたら応急処置だけでもしないと後から悔やむかもしれない。ずっと下りて最後にオールインしても、チップが少なければ負ける可能性が大きい。いつもいつも命を守っていればいいというものではない。
そして、命を守る行動が大切だとしても、それを他人にいちいち指図されたくはない。何はともあれ身の安全を図らなければならないとしたら、自分で判断してそうする。
マスコミにせよ役所にせよ、いざ戦争になれば「一億火の玉」とか「欲しがりません勝つまでは」、「ワン・フォー・オール」とか言い出す。一番大切な時に、「命を守る行動」とは誰も言ってくれない。賭けてもいいが、必ずそうなる。
p.s. なんとなく思うことの過去記事、バックナンバーはこちら。
災害は忘れた頃にやってくる。NHKは何かというと「命を守る行動」と言うけれども、生活基盤が失われる危機が迫った時、自己責任で対応することは誰にも止められない。

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