Go Down Gamblin' ver.6

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他人の評価は気にしない・再論

この間、大学受験に失敗する夢をみてたいへん嫌な気分になった。最近三叉神経痛で調子が悪いこともあるが、この時期になるとそうしたことが気になるようである。調べてみたら、昨年も4月に「他人の評価は気にしない」という記事を書いていた。

半世紀前の大学受験、結果的には4つ受けて3つ合格、第一志望も無事通って浪人せずに進学することができた。でも、いまだに思うのは、あの答案でよく合格できたということである。おそらく紙一重で、匙加減ひとつで不合格に転んだのは間違いない。

大学受験は、募集人数に対して数倍の受験者が集まる。場所とか学費、何を勉強したいかによるけれども、椅子取りゲームになるのは仕方なく、試験を受けて合格点を取れるようがんばるだけである。けれども、ああいうことはできればしたくないという思いは当時からある。

本を読んだり勉強をするのは嫌いではない。テストも、自分の習熟度を確認するためであれば苦にならない。でも、点数を他人と比べるのは嫌だ。いまでも、走るのは好きだしタイムは励みになるけれども、他人と競ったり順位を気にするのは好きではない。

おそらく、「他人が自分を評価する」のがもともと好きではないのだと思う。自分の目標は自分で決めるのが当り前だし、他人にどうこう言われたくない。そう思ってこれまで生きてきたし、68年そうだったから死ぬまで(YouTube流に言えば「〇ぬまで」)変わらないだろう。

とは言っても、進学でも就職でも結婚でも結局のところ競争だし、生物である以上それを避けることはできそうにない。だから若い時にはあきらめるしかないが、ある程度の歳になったらそういうことから自由でありたい。他人の評価なんて努力したからよくなるものでもないし、評価軸なんてあるかどうかも分からない。

サラリーマンを40年近くやってきて、自分の評価軸をきちんとすることを心がけることはできるが、他人の評価軸をまともにすることなどできない。組織に属する以上、組織ができるだけ続くよう努力すべきだと思うが、自分の利益が組織より大事という人の方がずっと多いし、しかも偉くなる。上から下までバカばっかしになる。

だから、受験とか競争なんてものは最低限にすべきで、少なくともストレスを少なくするためにはそうするべきだろう。いまだに夢に出てきて嫌な思いをするくらいだから、その当時はよっぽど嫌だったということである。あと何年生きるか分からないが、そういうストレスを新たに抱えるなんてまっぴらごめんである。

 

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